「富士の白雪ァノーエ」の文句で知られる三島農兵節の踊りをある高校の文化祭で
見学してきました。
農兵節の起源には諸説あるようです。。幕末、韮山代官の江川英龍(坦庵公)が三島で洋式農兵調練を行った際に、長崎伝習から帰った家臣・柏木総蔵が伝えた音律が坦庵公の耳にとまり、行進曲として唄い始められたという説、三島宿の人々が当時唄っていた田草取歌が盆踊り歌に発展し、その後尻取り歌「ノーエ節」として流行したのが始まりという説、文久2年(1862)に横浜で作られた野毛山節(ノーエ節)が三島に伝わり農兵節になったという説など諸説様々です(三島市のHPより)。
普及会もあるのですね。
男子高校生は恥ずかしそうに踊っていました。
女子高生の浴衣姿には華があります。
普及会の方の生演奏での踊りです。
踊り終えてほっと一息といったところでしょうか。
秋津
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